危険考
危険について考えてみた。
世の中にはいろんな危険があるけれど、俺が語るのだから、当然、単車の話だ。
単車ってのは危険である。なんたって自立できないんだから。
そしてエンジンパワーに比して、車重が軽すぎる=動力性能が高い。高速に限ったって、最近の単車なら性能的には、路上の90%の車を凌駕する。乗り手によって引き出せる性能に幅があるけど、それでも普通のライダーが乗った1000ccの単車は、たいていのクルマより速い。
もちろん、一部特殊な世界になれば別だが。
さらに雨が降れば転びやすいし、ぶつかれば軽自動車にも勝てないわけで、そんな誰にでもわかりやすい危険性から、真否はともかく、非常に語りやすく、かつ大人数を納得させやすい式が作られる。単車=危険と言う、反吐が出るほどありふれた言い分だ。
だが俺は、ココであえて単車に乗らない者とコトを構える気はない。
むしろ今から語りたいのは、「単車に乗る者へ」なのだ。乗っているにもかかわらず、いや、乗ってるからこそ、時々、俺の神経を逆なでする人間がいるのである。彼らは己の経験に基づいた安全基準を持っている。そして、その基準から外れたものを、安易に『危険だ』と断定する。
むしろ乗らないヒトは、単車は全て危険と思っている分だけ、ある意味公平だ。
そりゃぁ何年も乗ってきて、経験値はあるだろう。
俺より長く乗ってるヒトも、俺より上手い人も、もちろんたくさんいる。
だが、しかしだ。
そういったヒトのなかにも、頭が硬いと言うか、己の経験値に絶対の自信を持っているヒトがいて、ものすごく簡単に『俺は安全だけど、おまえは危ない』と言うようなことを語る。
おいおい、バカ言っちゃいけない。その基準はアンタが『自分の経験で導き出したもの』だろうが、それがなぜ、絶対的に正しいと言えるのだ? そう反論しようものなら、彼らはさも当然のように、いくつもの陳腐で聞き慣れたフレーズを並べる。一度くらい、聞かされたことがあるだろう?
しかしそれらの意見に、俺は、素直にうなづくことができない。
思い出して欲しい。
初めて単車に乗った時のことを。初めて単車に乗って公道を走り出したとき、ほとんどの人間が数時間のうちに、その大きさは問わないが、なにかしらの恐怖を感じたはずだ。クルマに乗るヒトなら多分、クルマ以上に恐怖を感じたと思う。
それはなぜか? 単車ってのが、基本的に危険な乗り物だからだ。
それでも、危険だが楽しい、この稀有な乗り物は、やがて乗り手を魅了して離さなくなる。そして長く乗るうちに、色んなことを覚える。危険を偶然に回避しながら、偶然生き残るうちに、経験をつんで危険を予測するようになるのだ。
そう、慣れただけなのだ。
問題なのは、『生き残っている』と言う事実を根拠に安全だと言う、その一点である。
原付だってコケりゃ怪我するし、場合によっては死ぬ。単車に乗るってコトは、排気量や速度に関係なく、死と隣り合わせなのだ。厳密には時速15キロとかそのくらいなら、もしかしたら死なないかもしれないけど、そんな非現実的な話は語らなくていいだろう?
実際問題、原付で出せる60キロってのは、すでに大怪我したり死ぬ速度だ。
ただ、単車乗りは技術を身につけ、経験によってケーススタディをし、事故や死の確率を下げているだけなのだ。なのに、そのことを忘れて、『ぶっ飛ばすのは危ないけど、私のように法定速度を守っていれば安全』なんてのはもう、ちゃんちゃらおかしいとしか言いようがない。
60キロで走ってると安全で、100キロだと危険。
200キロはもっと危険で、300キロなどとんでもない。
本当か?
物理的に人間がこなしうる反射速度や反応速度というものは確かにある。
だが、それを差っぴいても、いつ何が起こるかわからない公道において、60キロでぼーっと走ってるのと、200キロで集中しながら走ってることに、「そこまで差異があるか?」と問われれば、俺は自信を持って「否」と言える。
そりゃ、60キロで集中しながら走ってるなら、それがイチバン安全かもしれないが、冷静に考えて、『60キロで緊張しながら走ってる』ヒトは、全体の10%を切るだろう。
そして、60キロで何かあったら、人は充分に死ねるのだ。
逆に絶対速度ではなく、慣れている速度は安全で、慣れていない速度が危険なのなら、初めての原付で30キロで走る方が、いつも200キロで走るような人間が100キロで走るより危険だと言うことになる。彼は100キロの倍の速度にさえ、慣れているのだから。
マシンがどうのとか、速度がどうのと言うことに、実はあまり意味なんてないのだ。
危険を語るなら、むしろ操る側の心構えが大切なんだと思う。
極端な話イチバン危険なのは、俺やウチに出入りする連中のように、乗り倒してる人間だ。乗る機会、乗る時間が増えれば、それだけ単車で危険な目に合う可能性は、確率的に言えば非常に高まる。それはもう、動かしようのない事実だろう。
それがイヤなら、乗らなければいい。それが間違いなく、イチバン安全だ。
だから乗らないヒトには何も言う気はないけれど、乗っているなら、誰かの行為を危険だと説教する前に、もう一度、自分がいかに危険な乗り物に乗っているかを自覚した方が有意義だ。限界を超えないとか、集中力が切れたら乗らないとか、その方がずっと大事だ。
危険だと説教する人間は、でも、路上では助けてくれない。 essay top
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