solo run
ゴールド・エクスペリエンス
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2011.05.02 三日目(前編) ―空に抱かれながら―
ムラタの家からワインディングへ行くとなれば、筆頭はやはり、龍神スカイラインだろう。 だが、龍神は琵琶湖の翌日、ムラタやフラナガン、タカシらと走りに行く予定になっている。なのに、俺ひとりで先乗りしたら、タカシはともかくムラタとフラが絶対に、「コソ練してんだ、汚ねぇなぁ」つって口を尖らせるに決まってる。 ケツの穴の小せぇヤツらだ(普段イチバン言うのはあなたです)。 地図を忘れてきた俺は、昨日、ムラタにツーリングマップルの関西版を借りていた。つまり今日の俺のルーティングに死角はないのだ。なお、心の強い俺は、「いつもマップル持って走ってるのに、迷いまくって死角だらけじゃねーか」つーツッコミなんぞ屁でもない。 南の龍神にいけないなら、とりあえず東へ向かおう。 西に行くには大阪湾を迂回しなくちゃならないので、『迂回』とか『後退』という言葉の嫌いな俺の選択肢は、当然、東になる。「テキトーに走って迷ったり、思いつきで曲がって現在位置を見失うのは、迂回とか後退と何が違うンだ?」と聞かれれば、こう答えよう。 『魂がまっすぐ前を向いてるかどうか』が大きく違うのだ(ちょっとナニ言ってるかわかりません)。
つわけでムラタ家を出た俺は、東へ向かって走り出す。 『交通量少なく、傾斜も穏やか』という快走路表示のあった、国道310号線を捕まえ、ぐいんぐいんと曲がりながら東南方向へ下ってゆく。すると、大阪、和歌山、奈良の三県にまたがる県境あたりで、道は急激にツイストし始めた。 千早峠という、神福山を登る峠道だ。 「“ちはや”で、“かみ”かよ。やるじゃねーか」 『皇国の守護者』と『marmalade spoon』の、両方を読んでないとツッコめない、高度かつマイナーなボケを駆使しつつ、朝からツイストロードでゴキゲンなかみさん。サンダーストームエンジンの咆哮も高らかに、タイアのショルダーを削ってゆく。 ノーマルマフラーだから咆哮どころか超ぉ静かなんだけど。 5キロくらいのワインディングを一気に駆け登り、軽快に駆け下る。 「朝から気持ちいいじゃねーの!」 やっと乾いたワインディングを走れるンだから、そりゃあ元気だよって話だ。
と。 地図には載ってないっぽい、高速らしき道を発見。 「2009年度版だから載ってないのかな?」 ワクワクしながら入り口を入ってゆくと、『京奈和自動車道』の看板。 おんや? 料金所がないぞ? ついた先で払うのかな? とりあえず入り口の分岐で単車を停め、地図でもう一度確認してみると、有料道路の表示がされてないから気づかなかっただけで、京奈和自動車道はフツーに記載されていた。高速道路チックなツクリだけど無料なので、赤い国道表示されてたために見逃したのだ。 コレは乗らずにまっすぐ進み、370号に入った方がルート的には正しい。 だが、せっかく走りやすそうな道だし、その前に、ココまで頭を突っ込んじゃったら、押してバックするのもアホ臭い。なので本来3キロくらい走れば済むところを、わざわざ遠回りして7キロくらい走った。俺の空手は、後退のネジを外してあるのだ(他のネジも外れてます)。 さらに370号の入り口を見失い、ちょこっと迷う。 それでもどうにか、目指していた国道に乗り、あとはひたすら東行。 道は途中で169号に接続し、吉野川沿いを走ってゆく。 すると、そこいら中に、『吉野』の文字があふれていて、「わかった、そこまで言うなら、吉野神宮に御参りしようじゃないか」という気分になってきた。つーか、このあたりは川沿いに鉄道があるので、駅前の混雑に飽きてきたのがホント。
案内看板のとおりに進めば、吉野神宮までは迷わず。 小さな山を登っていった先に、駐車場があった。 エンジンを切ると、神域らしい静かな空気に包まれる。 新緑と山桜が美しい。 大きく深呼吸して、神域の空気を胸いっぱいに吸い込む。 それからトイレと一服を済ませて、吉野神宮境内の散策をした。 空の蒼と緑、日本建築の対比が美しい。
ほどなく、鳥居が見えてきた。 素朴で飾り気のまったくない、しかし、荘厳な雰囲気のある鳥居だ。 礼儀のとおり神様の通り道を避け、鳥居の隅をくぐるとき。 自然と一礼してしまった。 元々、神社が好きな上に、柔道によって神前に礼をする習慣があったのだが、さすがにこのクラスの神域ともなると、そんなことは無関係に、自然と襟を正される荘厳さがある。引き締まりつつも穏やかな気持ちのまま、美しい境内を散策した。 すると。 見た瞬間、思わず声が出てしまった。 全体が入るように引いて写真を撮ったのだが、やはり、どう頑張っても現実の荘厳さや美しさは伝えられないね。実際にこの場所でこの木を前にすると、『樹木に神が宿る』って考え方を、自然に肯定できる気がする。 神頼み的な意味の神様じゃなく、大切にしたいと思えるって意味で。
吉野神宮本殿。後醍醐天皇が祭神とのこと。
手水舎(ちょうずや・てみずや)。 これも含めて22箇所が、国の登録有形文化財なんだそうだ。ま、そんなのはどうでもいいと思えるくらい、場所そのものの雰囲気がむちゃくちゃ気持ちいい。ひと息すって吐くごとに、疲れた身体と心が浄化されるような心持ちになる。 歴史や言われにはあまり興味が湧かないが、神域の空気が、俺はなんだかやけに好きだ。 手水舎の裏手。
マクロで花をアップにして、背景をぼやかそうとしたら失敗した。
この緑は、完全無加工。 目の前に立つと、物理的な圧迫感さえ感じる緑だった。こういうのを『ただよう空気ごと』写真に残そうとしたら、カメラの性能とか数値的なものじゃなくて、伝えようとする意思と、現実から映像を切り出す才能、もしくは経験が必要なんだろうなぁと思う。 俺はその才能も経験もないから、言葉を継いで補強するしかない。 それを悔しいとは思わないけど、残念には思う。
奥のトイレで不浄を済ませたら、サッパリと洗い流したような気分で、吉野神宮をあとにする。 来た道をもどり、国道169号線に出た。 吉野川に沿って走りつつ景色を眺め、すっかり穏やかな気分で東を目指す。 と。 県道28号線の看板とともに、ワインディングが口をあけていた。 気が向いたので、ちょろっと入り込んでみる。
県道28号線は、吉野室生寺針線(よしのむろうじはりせん)と呼ばれるようだ。 この県道がなかなかのクセモノで、途中に不通区間があるため、気づくと国道370号へ誘導されてしまうのだ。もっともワインディングとしてはそこそこ面白く、クルマ通りも少なかったので、途中にせまっくるしい区間はあったものの、走りは楽しめた。 んで、誘導されるまま370号を北上し、 道の駅『宇陀路大宇陀(うだじおおうだ)』に到着。 ちょうど俺と同じタイミングで、トライアンフの900(スラクストン)に乗った女の子が入ってきて、横に停めた。お、カッコイイなァと思って単車を眺めてたんだが、女の子の方はものすげぇ勢いでその場を離れてしまったため、話はできなかった。 オシッコを我慢してたに違いない(ボウズに軍服のおっさんが怖かったんです)。 あのブドウはすっぱいに違いない。
地図で確認し、自分がいつの間にか北へ向かってることに気づいた。 脳内リルートを終わらせて道の駅を出発し、国道166号で東へ向かう。 で、ここからの166号が、えらく楽しいワインディングだった。 俺が走った区間だけでも、およそ60〜70キロくらい、延々とワインディングが続くのだ。 途中、景色のいい場所に出くわせば、首から提げたカメラで写真を撮りつつ。
基本的にはひたすら曲がった道を楽しむ。
速度の乗る高速コーナーが連続した区間もあれば。
せまっくるしい区間もある。
そしてその合間には、日本らしい美しい風景。 まさに、曲がり道ジャンキーには、たまらないレイアウトだ。快走路だけにツーリングライダーも多く、何度かマスツーリングに行き会った。片手を挙げて挨拶しながら抜いてゆくと、時々追いかけてくるSSやネイキッドもいて、それもまた楽しい。 荷物満載のビッグオフに見える単車だから、突っつきたくなったのかもしれない。 もちろん全部、消した(ドヤ顔がウザいです)。
このへんで道の駅『宇陀寺大宇陀』から約50キロ。 延々と下道ワインディング三昧だけに、楽しくて疲労こそ感じないが、タバコを吸いたくなったので、ちょうど目に付いた道の駅『飯高駅』に入る。 駐車場に単車を入れて、さて一服つけるかとタバコを取り出すが、『禁煙』の表示。 んじゃ、喫煙所はドコだと探してみると、これがなっかなか見当たらない。ほぼ駐車場と反対側まで来てようやく、もっと奥に灰皿らしき物体を発見した。「うっわ、あそこまで歩けってか。かみは歩かないのに」と、ブツクサ言いながら、てくてく歩いて喫煙所へ。 写真奥から、手前の灰皿を見つけた時の、かみさんの絶望っぷりが伝わるだろうか。 喫煙者の追い込まれっぷりに、筒井康隆の短編、『最後の喫煙者』も冗談じゃなくなったなと、なんだか少し背筋が寒くなった。タバコの煙が迷惑なのはわかるが、だったら躾けの悪い子供だの、ありえないほど大声でしゃべるおじさんおばさんだのも規制してい欲しいなと思ったり。 ま、敗残兵のたわごとなんで、聞き流してもらえば幸い。 聞き流せないなら、論戦しよう。 てなわけで、曲がり道はまだまだ続く。
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